心の熱量の話。
オチや解決や完結はしません。
3年ほど前から某アイドル系ソーシャルゲームをやり続けて、思う事がある。
推しを好きでい続けられる、そのコンテンツを好きでいるテンションを保てる人達は凄いと。
私なんかは推しや好きなキャラやCPなどがあっても、一過性の熱に過ぎずどこかでプツンと途切れてしまう。
最近も、某サイキック系の作品にハマってしまい色んなものを漁った。
兎に角すぐなんでも調べてしまう私はまずアニメを一期から見直し、原作のWikipediaを隅から隅まで読み上げ、Pixivを漁り、公式サイトのキャラプロフィールやスタッフキャスト一覧を読み、気になるキャストの所属事務所の宣材を確認しWikipediaを読みプロフィールを確認し、公式ラジオ番組のアーカイブを見つけイヤホンを一日中してずっとラジオを聴き続けた。
Pixiv漁りは1週間毎日6時間以上やった。
最近になってやっと落ち着いてきたのだが、それと同時に果てしない喪失感も味わった。
その時間が無駄だったとか賢者モードとかではなく、色んなものを短期間に摂取しすぎて心が疲れたのである。
「心が疲れた」なんて昔は思わなかったのだが、今になるとこの突然何事も無かったかのようにそのコンテンツに触れなくなる現象に対して色んなことを思うようになった。
「心が疲れた」時に感じるこの喪失感は多分今までの熱量で増長した記憶や気分の穴である。
話は変わるが、私には彼氏がいた事がない。だから恋とか恋愛とかがどういうものであるか分からないし、彼氏がいるとどうなのかもよく分からない。
そして、俗に言う腐女子と言われるものでもある。しかし、コミケやオンリーイベントに参加もしなければ誰かに生産的に二次創作物を見せていく人間でもないため、ツイッターなどで見る腐女子のお姉様方とはにわかな方向の腐女子である。単にBLが好きなだけとも言える。
さらに言うとなんとなく夢女子のような節もある。決して推しが自分の彼氏だと思っているわけでもないしそういった系統の漫画や小説が好きなわけでもない。あくまで、自分の好きなキャラを自分の好きなポジションにつけてこんな事あったらな〜と考えるのみである。その内容は誰にも言ったことはない。
だからなんなんだと言う話なのだが、私があるコンテンツを好きであるために消費する熱量と自分に彼氏や恋人がいないことは密接に関係があるように感じるようになった。
もちろん自分から異性にアプローチするような事はしたことがないし、そう思える相手もいない。努力不足だよとかそう言う話ではなく根本的な態度の話である。好きと言われたら自分も相手を好きになってしまう単純脳ではあるのだが。
また話は変わるが、
ツイッターなどに一定数いる、あるコンテンツのファンの間で有名なユーザー。
少し限定的な言い方になってしまうが、あの人達の持つ推しへの推進力や熱量は半端ないと思う。
すごいのは、長期的に推しを推していること。そして毎日欠かさずその推しについてのツイートや愛を語っていること。
私からすればそれはフードファイターのようなものであるように思う。
なぜそんなに好きでいられるのか。
私はAが好きな期間が落ち着いて次のBが好きな期間が始まるとAには全く触れられなくなる。
Bを好きな期間が落ち着いた後でやっとでAについて触れられる。
しかし、その時に全く好きでないのではなく視野に入れるものの範疇に納まっているのだ。
いつしかそれが日常の風景になり得ているのである。
こんな事を中学生くらいから続けていたために自分の中でのものの流行り廃りが激しく、高い消費と蓄えを繰り返してきたために現在こうして「心が疲れた」状態を認知する結果にあるのだと思う。
そして、またこの「心が疲れた」状態を忘れて次のものへ熱量を消費し始めている。